戯言

緑(木や草)を見ていると、本物の緑とそうじゃない緑が見分けれる。
あーこれは本物の緑だ、って。
その時肺の奥の奥から呼吸したくなる衝動にかられる。

でもそうじゃない緑は例えば街中の道路と道路の間にある細長い道に誰かが植えた緑とか、サッカーグラウンドの地面に植え付けた芝生とか。

もちろん緑が全くその場から無くなるより全然良いと思う。
けど、やっぱ人間は本物の緑とそうじゃない緑を見分ける力があると思うから、見た時意識してなくても無意識のうちに心地よさ、もしくは違和感を感じて仕分けていると思う。

気持ち良い本物の緑と、緑に見えるけどなんか変な緑。

やっぱりあたしは本物が好き。
緑だけじゃなくて音楽や、人の目や、建築物。何においても、本物を見分けれる力を失わせたくないと思う。

その直感に反してfakeを本物だと自分が思い込めばそのfakeはその人にとっての本物になるかもしれない。

人間は自分の意思で作られているようなものだから、きっとそうなってもおかしくない。

例えばYogaも、健康になろうという意思が無い人が行っても良い方向には絶対に行かない。むしろ、悪い影響を与える事になるんだとか。

だから、そのfakeを本物として捉えている人は思考を通じてfakeを体に取り込んでいるその人自体もfakeになるんだろうな。


何かを見た時、出会った時、まず直感(これがどんな論理的な思考よりも核心を突いている事は多々ある)、その後に意思が入る。

意思を直感に身を任せさせるか、反させるかはその人次第。

あたしは直感で本物を見分ける力を失わせないし、今後ももっと研ぎ澄ませてやろうと思ってる。

本物の人間、動物、植物、魂。
きっとこれらは霊的な行動と関係しているんだなと思う。
霊的な行動とは、Yogaで言う意思から離れた行動の事。

本物を見分けれる人が本物に出会った時、またその本物が本気を出した時、胸の真ん中あたりがぎゅーっと、その後ハッとする。

全ての本物達へ。

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