よく小学校で将来の夢について作文を書く授業があった。
多くの人が経験したのでは?
私の周りの子は具体的な将来の夢がたくさん挙げられていて、この歳でそんな先の事が見えるなんてすごいなぁ、と小学生ながらに関心していた。(笑)
ある子は"保育園の先生になる"(私達まだ小学生なのに小さい子の面倒を見る将来をよく思い浮かべられるな、と思っていた)、ある子は"サッカー選手になる"(本気でそう思う?と、思っていた。何故ならサッカー選手になろうと思うならプロのチームで練習したり、授業より練習を優先させるべきでは?とか私は考えたから)、ある子は"幸せな奥さんになる"(その当時好きな人が3人くらいいた私は、結婚を思い描く友人に驚いたし、また、夢がそんな奥さんなんてものでいいのか?と考えていた)など、周りの子の夢は本当に具体的だった。
イチロー選手や本田圭佑選手など、実際にプロの選手として活躍している人達の小学生の頃に書いたこのテーマの作文が紹介されていた事がある。
2人とも具体的にプロ野球選手、サッカー選手になる事を予測していたかのように書かれていた。
私はこれを見て、じゃあ私は何になるのだろう??と感じた。
というのも、私は本当に何も思い浮かばなかったのだ。やりたい仕事?社会でどのような立場に立ちたいとか(美人、妻、etc...)、そういった考えはその時なくて、早く休憩時間にドッジボールをしたいなぁと考えていた。
将来の事なんて分からないよって。だから楽しいんだよって。
今でもこの感覚は正しいなって思う。
やっぱり今が大事だから。
夢であれば強いて言うなら、その時強く思っていた事があった。
それは、"子どもの心を忘れない大人でいること。"
よく、大人になると子どもの頃の気持ちを忘れるとか聞いていた。
私はそれはその人達の意思次第であり、あたしは絶対にこの、子どもである今の楽しい気分やわくわく、新鮮で純粋な気持ちを忘れない、プライドとかなんかよく分からないものなんかに染まらないぞ!と、思っていた。
多分今ならこの"子どもの頃の気持ちを忘れるような大人だけにはならない"ということを将来の夢のテーマとして作文は十分書けると思う。
でも、その当時の私は周りを見て、具体的な既存の職業や立場に自分を無理やり当てはめる必要を感じて、結局トリマーになりたい、と深く考えもせず書いた。
まぁ、動物は好きだし、自分の知っている職業を当てはめるなら美容師が一番楽そう。それなら2つを合わせたものを将来の夢としよう、という感じで。
でも小学生の頃の私に安心してほしいと言いたい。
今は本当に心で感じた"子どもの頃の気持ちを忘れるような大人には絶対にならない"という気持ちは変わらない。
むしろ、トリマーにはなっていないし、この、心から掲げた将来の夢を私は実行してる。
あの時考えた"大人は『大人になったら子どもの頃の自分を忘れてしまうもんだ』なんて言うけど、絶対嘘だ!私は絶対忘れない。"
と言う気持ちがずっと残ってる。
変わってない。
私は常に子どものような気持ちを持ってる。
面白い時にはギャハギャハ笑い、困っている人がいれば小学生の頃と同じようにすぐに声を掛ける。ゴミも拾って捨てる。
なんだか自慢のようになってしまったが、これが本当に自慢なのである。
私は自分のこう言う部分が大好き。
無邪気で肩を張らない素直な自分。
心の目で世界を見てる。
また、この自分がいつもこの世界の一員である私を支えているとも感じる。
時にはアウトサイドからの要因で怒ったり、悲しくなったり、傷付くことがある。プライドが邪魔して素直になれない事も。
だけど、そんな時この素直な私が出てくるとあっという間に自分も周りの人も和む。
ずっと大切にしたい部分。
何故思い出したかのようにこの記事を書いているかと言うと、今ある本を読んでいるからである。
それはドラ・トーザン著書のフランス人は年をとるほど美しいという本。
この本の中で、
いくつになっても素直で自然体のままの少女を自分の中に抱き続ける。あなたの中に5歳のあなた(リトルガール)がいる。リトルガールを解放することで、いつまでも若さを保つことができるの。
とある。
これは私が思っていたことと似てるなぁと思ったからである。
やはりみんな子どもの頃の面白い気持ちを持ち続けるべきた!と思う。
社会的な立場=妻、夫、上司、正社員、サラリーマン、息子、父、娘、という役割の前に1つの"個"であるという事。
この"個"とは魂。
魂に目を向けてありのままの自然体の自分で生きていくとこの世界が大きく変わる。
全ての個へ。自由に面白く生きよう。
旅の途中で
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